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旅と青春 
〜米国へロマンを求めて〜 

佐藤十悟(米2/静岡県出身)

 

 日本を離れて早1年、今でもあの時のことを思い出す。「お父さん俺、米国に行きたい」。正直、はっきりとした動機はなかったが、私は一生懸命、その思いを父へぶつけた。あえていうならば、私は小さいころから米国に憧れを持っていただけだった。しかし、父は迷いもせず「いいよ。行って来い! 米国にいってくれば世界のことがわかるしな!」と答えた。あまりにあっさりした返答だった。しかし、私の頭の中にその言葉が引っ掛かった。「米国に行ってくれば世界のことがわかる?」、そのときはどうしてもその言葉が信じられなかった。

 2004年6月27日シアトル・タコマ国際空港到着。周りを見渡せば米国人ばかり、みんな私たちを不思議そうな目で見ている。そのときの心境を今でも覚えている。私は不安などは一切なかった。むしろ一日でも早く米国を知りたいという思いでいっぱいだった。

 私たちの通う大学のあるワシントン州モーゼス・レイク市に着き、次の日からは早速英語の授業が始まった。先生はもちろん米国人。日本語は話せない。私は英語が苦手なので初めは笑ってごまかすので精一杯だった。しかし、後に先生や生徒たちと会話をする機会が多くなり、少しずつだったが会話ができるようになってきた。すると、もっと先生のことを知りたい、友達のことを知りたいと思うようになり、私は必死になって勉強した。残念ながら、成果はすぐには見られなかった。そして一ヶ月半が過ぎ、短期農場研修へ突入した。

 短期農場研修ではオレゴン州のフットリバーという場所へ配属された。そこは果樹園で、多品種のリンゴ、ナシ、チェリーを栽培していた。本当に私にとって見るものすべてが初めてで、驚きの毎日だった。はじめはボスにも毎日のように怒鳴られ、本当に辛かったが最後は誉められることも増え、少し反省点もあるが、私にとっても納得のいく3ヶ月間だった。

そして第二次学科研修。たった3ヶ月間しか離れていないのに、短期農場研修が充実していたせいか、他の研修生たちと再会した時、とても久しぶりな気がした。まだ知り合って間もないのに私にとってこの仲間の存在がとても大きいことにはじめて気付いた。この仲間と一緒にいられるのもあと一ヶ月半。それが過ぎたら15ヶ月間の長期農場研修。私はこの一ヵ月半でもっと仲間意識を高め、この仲間と思う存分楽しもうと思った。この先長期農場研修へ入り、辛いことが山ほどあるだろうが、その時にみんなで励まし合いながら、乗り越えていけたらとの思いからである。

 そして、とうとう長期農場研修が始まった。私はコロラド州のウエリントンという、牧畜業を営むマツダ・エンタープライジーズという農場へ配属された。外へ出れば、端から端まで見えないほど見事なロッキー山脈、道路にはシカやウサギ、キツネなど、さまざまな動物たちが自然に暮らしている。日本では考えられない光景が毎日見られる場所である。そんなすばらしい光景を見ながら毎日仕事をしている。

 長期農場研修が始まって約7ヶ月。米国へ来て約1年。もう渡米研修の半分が過ぎてしまった。本当に一日も気が抜けない日々だった。その中でも長期研修へ入ってからが、最も忙しかっただろう。毎日が仕事で、今はアルファルファとソルダムの収穫と種まきを担当、一日平均16から18時間働いている。一日が終わると「ああ、今日もやっと終わった」と思うぐらいだ。体は疲れ切ってぼろぼろ、たまに親やほかの研修生たちから電話や手紙をもらい、励ましあいながらがんばっている。そのたびに親の愛情、研修生たちとの仲間意識を感じ、本当に嬉しく思い、その都度やる気が出てくる。

 本当にいろいろな人たちに支えられながら生きているのだと思う今日この頃だ。するとふとあの言葉を思い出す。「米国に行ってくれば世界のことがわかるしな!。」確かに米国は世界各国から色々な人たちが来ている。私もプライベートで米国人はもちろんメキシコ、ニュージーランド、南アフリカ、中国などの国の人と会話をしてきた。世界各国の情報を耳にすることができ、あの時父の言っていた言葉をなんとなく理解することができる。しかし、私の知ったことなんてまだまだほんの一握りに過ぎない。

 私は米国へ来た時には正直、具体的な目的はなかった気がする。しかし、今はある。この農場のボスの経営方針を学ぶこと、もっと英語力を身につけ、色々な国の人たちと会話し、その国で育った人から話を聞き、ここでしかできないことをやって日本へ帰りたいと思っている。

 私の渡米研修は残り1年。その1年間をどれだけ膨らますかは、すべて自分にかかっていると思う。向上心を忘れず、日本へ帰国する時まで、自分の目標を果たせるよう最善を尽くしていきたい。

 
 
※この原稿は『北米報知新聞8月6日号』に掲載されたものです。