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海外農業研修体験談

なんじゃここは?!

令和5年度オーストラリアコース(野菜)万城崇

人生で初めてのフライト、人生で初めての海外での暮らしなどの期待をしつつも、期待感と同等の不安感も、渡航前の私は抱いていました。
しかし、ケアンズでの語学研修の期間は、ユニークで寛容な先生の授業や、研修生との生活の中で緊張はほぐれていきました。充実した日々を過ごしていたのもつかの間、私はレイクランドという想像を絶する田舎で半年以上の研修をすることが決まりました。

Google Map等でご覧いただけると一目瞭然かと思いますが、そこは広大な土地を持つ数々の農場と、従業員の生活居住地があるだけという環境でした。
思い描いていたよりも過酷な環境に来てしまったと初めこそ思っていましたが、そこで出会う格式張らない人々の雰囲気や、田舎ならではの貴重な体験を経て、次第にレイクランドという町に愛着がわくようになってきました。

オーストラリアの人々と触れ合って生活していく中で、彼らは「メリハリ」をとても大切にしている文化だと感じることが出来ました。仕事中は一切を無駄にすることが無いように、神経を研ぎ澄ませ、効率化やモチベーションの保ち方を工夫して作業に取り組み、仕事が終われば、町にある唯一の酒場で昵懇の間柄で交わりのひと時を持つことも多々ありました。

日々の生活や仕事、仲間とのコミュニケーションを通して、自分で気づくことの出来なかった可能性に何度も気づかされました。自分の将来を思い描き、それを原動力にして一歩ずつ歩んでいく楽しさを知り、私はまたオーストラリアに旅立ちます。

このような経験はJAECの海外農業研修でないと、得られなかったと思います。自分の想像とは違う場所に配属されるかもしれない、だからこそ思ってもみなかったような、経験、挑戦、可能性が、きっと皆さんを待っていて、人生の大きなターニングポイントとなることを確信しています。

ご清覧ありがとうございました。

 

Helloだけでもいける!

令和3年度 オーストラリアコース研修生 稲葉 美佳

私がオーストラリアへの渡航を決断したのは今から4年も前の話です。東京のよく分からない路線を乗り継いで、説明会に行き、その場でオーストラリアへの渡航を決意しました。
それから、事前講習を終えいよいよ渡航、という時に例のウイルスにより、オーストラリアの国境は閉鎖。渡航は延期となりました。
結果的に2年渡航を待つことになりました。同期の何人かは、途中で辞退する方もいました。私もあと1年待つことになっていたら、渡航していたかわかりません。それでも、もしオーストラリアで過ごした1年が価値のあるものだったかと問われれば、「YES」と即答できます。

農場での指示は当然ながら英語で、慣れるまでは自分がしている作業が正しいのか不安になることもありました。
指示や日常会話を理解したくて、とにかく色んなことをしました。
オーストラリアの国歌や、愛国歌のWaltzing Matildaなどを歌うと、一緒に歌ってくれるのが嬉しかったことを覚えています。英語の勉強にもなりましたが、それ以上に、歌詞からオーストラリアという国への理解が深まりました。
英語の早口言葉をしてみると、自分は大真面目に言っているのに、ボスには大笑いされることもありました。お返しに日本の早口言葉を教えてみると、変な風に聞こえて、「ああ、私たちの英語ってこう聞こえるんだな」と思うと同時に、日本語を覚えてくれることが嬉しかったです。

オーストラリアに着いたばかりの頃は、正直かなり英語に不自由していて、周りの子に頼ることも多くありました。ですが、諦めず勉強したおかげで、3月にオーストラリアを去る時に農場のボスに「美佳は1番英語が上達したね」と言ってもらえました。
毎年多くの研修生が、言葉の壁に当たり、事前にもっと勉強しておけばよかったと嘆いていると言われてます。実際私もそうでした。

でも、たとえ「Hello」しか分からなかったとしても、それは海外へいくことを諦める理由にしなくて良いと思います。必要なことは、決意する勇気だけで、あとは未来の自分が何とかしてくれます。
見たことのない景色や、異国の地で仲間と共に過ごした1年は、私にとって人生の分岐点であり、何にも変え難い日々でした。もし叶うなら、この経験を多くの人にしてもらいたいと思います。

協会よりお知らせ・2024年度はオーストラリアコースの募集は行っておりません

 

未知なるものを求めて

令和2年度 アメリカコース研修生(野菜専攻) 生島 明

これから先の人生「誰と会い、何を学び、どう生き、どう死ぬのか」分からないことがたくさんある。
それが海外へ行くとなればなおのこと、一体そこで何を見て何を考えるのだろう。

アメリカでは日本とは違った経営感覚や、気候/環境問題、歴史、価値観がある。
私はいつか農業経営者になることを夢見ていたので現地の経営を学びに行った。

聞きなれたことわざに「百聞は一見に如かず」とある。
広く知られているアメリカの農業は「超大規模型農業」だが、実際は小規模農家も多く、私が配属された農場は小規模農場だった。

そこでは現役の医師が農場を経営していて、多くの支持者(ファン)によってサポートを受ける体制が確立されていた。「農場経営は病院の経営にも通ずるものがある。」農場で働く中、教えてもらえたことのひとつだ。
さらに配属先だけでなく、プログラムを通じて他農場を見学することができ、日本では経験できないであろう、多彩な経営感覚に触れられた。

また、大学での専門学習では広義な農業の事例やアメリカの開拓の歴史から現在に至るまでの農に纏わる物事の変化、発展した中で浮き彫りとなった問題などについて学習した。その中では気候変動によって「日本でも起こりえる問題」もあることが分かった。

その上で自分がどのような経営をしていくのかについて考えるアグリビジネスの授業において、ビジネスプランを作成した。他研修生と共に試行錯誤する中で、プランを練り上げる日々を過ごせた。
現在私は帰国し新規就農に取り組んでいる。困難の多い状況だが、アメリカで学んだことが血肉となっていることに時折気付く。
「何事も小さなことから始まる―。」私の農場主から教えられたことだ。

これから大きな事を成すために、まずは小さなことを地道に積んでいく。
私のこの先の未来は、アメリカに行ったことでつながる将来であり、未知ではあるがとても楽しみなものだ。
皆さんはこれからどんな人と会いどんな経験をして、何を思うのだろう。
そして、そこは日本、アメリカ、もしくはどこか別の国だろうか。

もし“海外で学ぶ”という圧倒的に未知な世界へ飛び込むならば、先の人生をより豊かなものにできると私は思う。


 

オランダで築いた農業者の基礎

令和3年度 オランダ研修生 近藤美波

オランダでの研修を開始し、毎日8時間パプリカの収穫作業をこなす日々に、私は不安を抱いていた。

オランダの施設栽培では、主に「栽培管理者」と「ワーカー」の2職種があり、栽培管理者は各ハウスに1,2名で、ハウス内の環境(温度やCO2濃度等)を管理し、栽培に密接に関わる。
一方ワーカーは大人数で収穫や誘引、パッキングといった作業を行う。オランダ式の先進的な施設栽培に憧れてこの研修に参加したので、やはり栽培管理を学びたかったが、実際に私に任されたことはワーカーと同様の収穫やパッキング作業だった。

正直に言って頭を使わない単純・簡単な作業ですぐに習得してしまった。20代から栽培管理者として活躍するボスたちと今の自分が全く結びつかず、ただ海外生活を楽しんで帰ることになるのではないかと心配だった。
しかし研修を終えた今、ワーカーとしてパプリカ施設栽培の概要や一年の作業工程を学んだことは、栽培管理者となる過程で非常に有意義な経験であったと胸を張って言うことができる。

研修中、多くの栽培管理者と話す機会があり、彼らも最初の一年はワーカーに交じり働いたという。農業を志す皆様ならばご存じの通り、農業とは経験の積み重ねである。一年間海外で研修を行うだけで何もかもを習得できるわけではない。海外に来た成果を求めるあまり、そのことを忘れていた。

海外農業研修は楽しいことばかりでは無いことを、この研修に参加する皆様には理解していてほしい。大切なのは、その瞬間に研修がうまくいかなくても、自分のキャリアを長い目で見て将来の糧になると知り、腐らず全力を尽くすことである。

そして、海外で暮らし、未知の文化を学ぶこと、多国籍の友人と心を通わせること、休日にいろいろな国を巡り、美しい自然や荘厳な建造物を見て、おいしいものを食べることは本当に楽しい。

海外農業研修は、研修で農業者の基礎をつくり、フリータイムで海外生活を満喫できる、一挙両得のプログラムである。参加を迷っている方もぜひ勇気を出して参加してほしい。

 

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